柳田悠岐はいかにしになるには?どのようにして球界一のスラッガーになったのか 

柳田になりたい誰もが思っていることだろう。

今や球界を代表する、日本一のスラッガーといってもいい、柳田悠岐!!

2021年シーズンは、チームは4位。個人としてはベストナイン、ゴールデングラブ賞のみの受賞で、持ち味の打撃でタイトル獲得とはならなかった。柳田自身納得のいかないシーズンだったことだろう。ゴールデングラブ賞、ベストナイン獲得だけでもすごいことだが、物足りなく感じてしまうのは、柳田が日本一の打者だからであろう。

そんな柳田悠岐が、いかにして球界の顔になっていったのかを、私の考察を含め話していきたいと思う。

2010年にドラフト2位で福岡ソフトバンクホークスに入団。翌2011年は春季キャンプを一軍でスタートさせると、5月8日に代走で初出場した。

あの柳田が、初出場は代走だったのかと思う方は多いと思う。規格外のスイングから、あれだけの打球を飛ばし、コンスタントに率も残している柳田が、初出場は代走だったのだ。なんだか少し親近感がわいてこないだろうか?

高校時代の柳田は線が細く、高校通算は11本塁打しか放っていない。11本と聞けば、周りにいてもおかしくない数字ではないだろうか?自分のほうが多く打っている、打っていた、という人も少なくないはずだ。

柳田も、もともとあれだけのスイングをできたわけではない。プロに入って、代走からプロ野球人生をスタートさせた男が、いかにして球界の顔になったのか?また、柳田悠岐になるためには、なにが必要なのか?このブログをよんで、未来の柳田悠岐が生まれてくれたら私もうれしい。

まずは、柳田の大学時代の話をしていきたいと思う。大学名などは特にここでは触れないでおく。

柳田は大学年時、金本知憲や、中田翔らが通っているトレーニングジムに通っていた。高校時代線が細かったと話したが、柳田自身そのことを理解していたのだと思う。おそらく食取れも行い、体重を大幅に増やしたのだ。

その結果、遠投や50m走の記録が伸びたそうだ。

スポーツ選手は体が資本。体づくりを行ったことで、一躍ドラフトの目玉選手となった。

同学年には現シンシナティレッズ所属の秋山がいた。タイプは異なり、秋山は高校時代からドラフト候補で大学進学後も1年時からスタメンで出場しており、秋山のほうが評価は高かった。

プロ入り後の柳田の評価としては、スイングが強く足が速く肩も強い。しかし、ミート力、守備力が課題。といった評価だった。

1年目はヒットなしに終わった。2年目は、初本塁打を含む5本塁打。3年目は11本、4年目は15本と着実に数字を伸ばしていき、5年目、ついに本塁打30本、トリプルスリーを達成!一気に才能が開花したといってもよいだろう。

どんなスーパースターも、いきなりスーパースターだったわけではない。毎日思考錯誤し、探求し続けることが大切だと思う。柳田になりたい。君の目標は現実になる。あきらめず、自分に何が必要なのかを考え、行動していけば、君が未来の柳田悠岐だ!!体づくりを行った柳田のように、自分からアクションを起こしてみよう。

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